笠井議員「核持ち込み密約」で見解ただす
「有識者報告書は重大な瑕疵」 新原氏が発言
衆院外務委員会は2日、核持ち込みなど日米間の密約問題で参考人質疑を行い、これまで米解禁文書の調査で密約を解明してきた国際問題研究者の新原昭治氏と、我部政明琉球大学教授(国際政治)、外務省の有識者委員会委員だった坂元一哉大阪大学教授、春名幹男名古屋大学特任教授の4氏が参考人として出席しました。
日本共産党は笠井亮議員が、核持ち込みの密約について参考人に見解をただしました。
新原氏は、1960年の核持ち込み密約について、外務省の有識者委員会報告書が「米側の解釈を日本側に明らかにした形跡がない」と、密約ではないとしていることに「重大な瑕疵(かし)がある」と批判、「『密約』を放置し手をつけないで、日本の主権と日本国民全体の利益に責任が負えるのか。『非核三原則』が本当に守れるというのか」と述べ、「全ての軍艦に核兵器を積んでいないことを証明させる『非核神戸方式』のような政策を国がとるべきだと主張しました。
笠井議員は「密約とは何か。日米の軍事取り決めになぜ密約が多く存在するのか」「アメリカが核兵器の存在を肯定も否定もしないというNCND政策をとっている中における現在の核態勢について」などの問題で新原氏の見解を伺いました。
◆新原氏の発言と笠井議員の質問で「核持ち込み密約」の実態が浮き彫りに(PDF/bt_20100428133706.pdf)
◆審議録(PDF/bt_20100430121957.pdf)
参考人=新原昭治氏の発言(要旨)
「密約」をめぐる有識者委員会の報告書は、1960年の核密約で見過ごせない瑕疵(かし)があります。
報告書は、米国が安保条約改定交渉において、核搭載艦船を事前協議の対象外にするという米側の解釈を日本側に明らかにした形跡がない、と言い切っていますが、これには有力な反証があります。
安保改定交渉初日の58年10月4日の協議経過の詳細を報告した同年10月22日付のマッカーサー駐日米大使の電報です。
電報によれば、「(事前)協議の定式」に関する米側の解釈について、「国務省・国防総省共同の交渉訓令に従って」日本側に説明。訓令は「(B)核兵器を搭載している米軍艦の日本の領海と港湾への立ち入りの問題は従来通り続けられ、(事前)協議方式の対象にはならない」と示しています。
この電報があるのに、米側解釈をアメリカが説明した形跡がないと断定しているのには驚きました。
この日米交渉で米側解釈を了解する一方、60年2月に始まった第34回国会で、日本政府はその理解とはまったく逆の答弁を行いました。「核搭載艦船は事前協議の対象」という言明がそれです。後になって、当時の山田久就外務事務次官が、あれは国会での野党の追及を恐れる取り繕いに過ぎなかったと、国際政治学者の原彬久氏に証言しています。この証言の核心が、有識者委の報告で活用されていません。
第34国会のための想定問答は、当時の高橋外務省条約局長が中心となって準備したもので、高橋局長が安保条約調印翌日の60年1月20日に、米国務省極東局のマウラ次席法律顧問と会談しました。その会談記録は、東郷和彦元外務省条約局長が最重要文書として印をつけていたのに行方不明になったと証言しています。
マウラ顧問は、「アメリカ側が核持ち込みと言う場合は陸上のことを指しており」「海の上での核についてはアメリカはあるともないとも言わないという趣旨のことを言っていた記録」というのですから、核密約隠しの虚構の答弁準備と明らかに密接に関連するものと見られます。
日米両政府を代表する藤山外相とマッカーサー大使が60年1月6日に「討論記録」にイニシャル(頭文字)署名したことの国際法的な意味の重大さも指摘する必要があります。この問題をめぐる国際法学者の常識的な見方は、秘密の「討論記録」に双方がイニシャル署名をした事実こそが決定的な意味を持ちます。これによって、秘密の「討論記録」という名の密約が確定したのです。
60年1月7日のマッカーサー大使発の国務省あての電報では、「討論記録」は、「改定安保条約を構成する文書群」の一つと位置づけられています。
ところが有識者委の報告者は、イニシャル署名のことは触れていますが、法的重大性については言及を避けています。
実際には、秘密の「討論記録」こそ、改定安保条約の最大の目玉にされた事前協議制度の核心に位置するものでした。これを密約でないと言う以上、今後も放置しておくということでしょう。
この密約で生じた国際法的な米国の権利、日本が負わされた義務を今後、どうするのでしょうか。これに手をつけないで、日本の主権と国民全体の利益に責任が負えるのか、非核三原則は本当に守れるのか。これこそ、重大な手落ちです。